俺らがFrying Red Dadys! まだまだイクよダメ人間!

 

 2001年 春。三重県松阪市において一組のロックバンドが結成される。結成当初はNIRVANA

のコピーをしていたが、徐々にオリジナル曲を作り始めたバンドはやがて「SUN FLAG」と名乗り

地元限定でライブ活動を開始する。日本国旗をそのまま英訳したバンド名は、当時右寄りの思想

に傾倒していたフロントマン・荒木の発案によるもので、曲のメロディーもどこか民謡崩れした

不気味ながら独特なものだった。

 SUN FLAGのメンバーは3人。他のパートを全く無視した音量で周囲の顰蹙をかっていた

ベースギター・富士山。元々はギタリストなのにもかかわらず、メンバーの圧力により半ば

強制的に参加していたパン中ドラマー・エグチのとっつぁん(子持ち)

 そしてボテ屋で300円で買ったボロギターを振り回す事しかできない金髪(笑)の

ぺドフィリア ギターボーカル・荒木。

 彼ら3人は 「とにかくタバコ吸おうや」 「聴いとる人わからへんって。」をスローガンに

ライブを繰り返し、周囲の人間から「熱すぎてつい途中で帰っちゃった。」「音がうるさい」等の

大絶賛を巻き起こす。由緒正しきライブハウス「MAXA」の店長・中村氏もSUN FLAGの演奏

を聴くやいなや、ボーカル荒木を呼び出し、「曲はともかく、お前は背が低い」と熱いエールを

送ったという逸話も残されている。

 しかしながら、2003年3月。バンドはメンバーの卒業、就職という至って普通の理由により

涙の解散となる。その後彼らは別れ、それぞれの眩しい人生を邁進していく……はずだった。

 2003年、6月。初夏の眩しい陽射しの中、俺は無職になった。

子供の頃夢見た「毎日が夏休み」は実現してみると冬よりも寒い無情のブルースだった。

スーツ姿のリーマンが行き交う雑踏をだらしない私服でうろつく俺は、

錦2丁目の客引までもが無視する哀愁オーラを漂わせていた。実際金もってないしね。

 こんなことじゃダメだよ!ここから逆転ホームランさ!! ある日そう発起した俺はすでに

疎遠となっていた富士山に再就職セミナーのパンフを握り締めつつこう言い放った。

「どうせ無職だしバンドとかやろうぜ」

 ついに幕を開ける第2楽章!!新ドラマー・北京を迎え(前ドラマー音信不通)、赤きギターが

             空を飛ぶ!赤い親父も空を飛ぶ!!(息子が無職だから)

          俺はブラボー!あんたはダディ!!そう!俺達は今日から

Flying Red Dadysだ!!

…見守って下さい。特に女の子とか。

 

 

 

 

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